【ボラ部】漁業支援報告

日頃よりボランティア活動へご理解とご協力いただきまして、ありがとうございます。

以前に(社)気仙沼復興協会(以下:KRA)でボランティア活動をしていただいた方、お久しぶりです。ボランティアについて調べていたら、このページにたどりついた方、はじめまして。
KRAボランティア受入部の菊地 千穂です。

このところの気仙沼市は、めっきり寒くなり、とうとう小雪が舞い散るまでになりました。
冬には冬の良さがありますが、寒さが大の苦手の私には辛い季節がやって来ました。
みなさん、お身体には十分に気をつけてお過ごし下さい。

さて、寒くなって来たとはいえ、気仙沼の基幹産業である漁業、中でも養殖業は今の時期が収穫に向けての第一歩、準備を行う大切な時期です。
震災前に気仙沼で行われていた養殖には、わかめ、ほたて、ほや、かき等がありました。
しかし、海面近くにロープや筏を並べ流されないように個定する方法で生育させる為、潮位の変動にはとても敏感で、東日本大震災の前年に起きたチリ地震津波も大きな被害をもたらしました。

この時は、津波の高さは湾の入口で80cm、湾の奥では最大1m50cmでした。東日本大震災に比べれば低い潮位ではありましたが、入口が広く奥側(陸地に近い場所)が狭い三陸の湾では奥側で津波のエネルギーが集中して高い波となり、海岸から200m内陸まで水が流れ込みました。

このことと比較しても、東日本大震災の被害は深刻であり、養殖業者の方々は船や道具・設備を失い、会社員の方が職場を失うのと同じように収入源を絶たれたのです。
それでも、街が少しづつ方付いて来たように、海もまた落ち着きを取り戻してきました。

養殖業者の方々も、もう一度三陸の養殖業を復活させようと、まずは単年で収穫可能なわかめから仕事を再開する方が多いようです。
わかめは、今年の春先に出荷された物もありましたが、養殖業全体で見ると、まだ立ち上がったばかりなのです。

我がKRAでも漁業支援として、養殖いかだのアンカー(土俵と呼ばれ、土嚢袋に砂利を詰め袋の口を縛って作る)作りや、漁港の清掃、ほたて、わかめの養殖の準備のお手伝いをボランティアさんにお願いして来ました。

これは、特定の個人の利益の為ではなく、気仙沼市の養殖業全体の再生に欠かせない活動であると共に、もう一度、海の仕事を始めようとする方々の大きな励みとなっております。
その結果、依頼者である漁業・養殖業に携わる方々には、初めの一歩が踏み出せることに感謝していると大変お喜びいただき、ボランティアさんからは、被災地域の住民の方々と直にふれあえて、たくさんのお話を聞けて良かったと感想をいただいております。


震災前の気仙沼湾の養殖いかだ


ボランティアさん活動風景

私はいつも、ボランティアさんに「地元に戻ったら、ぜひ、自分で直接見た事、直接聞いた事を出来るだけたくさんの方に伝えて下さい。」とお話ししています。それは、情報発信という大切なボランティア活動でもあり、多くの方に気仙沼を知っていただく事につながるからです。私達は、「被災地 気仙沼」から震災前のような、また訪れたい「観光地 気仙沼」へと移りゆく日が早く訪れることを望んでおります。

これからも新しく変わりゆく気仙沼の今後を見守っていただければ幸いです。

(ボランティア受入部 菊地 千穂)

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