皆様、こんにちは。【港町の編みっ娘ぶらぐ/縫いっ娘ぶらぐ】を担当しています小松です。
東日本大震災から2年が経ちます。ここ気仙沼には今もなお、およそ8,000人の方が仮設住宅で生活しています。
今回は編みっ娘ぶらぐの会員(編みっ娘)である「松本和子」さんが体験した、あの日の事をかいてみたいと思います。
今、最盛期を迎えている三陸産若布は、黒潮と親潮がぶつかる栄養豊富な三陸の海で育ち古くから良品として知られています。
2011年3月11日。津波は気仙沼の私の生家にあったワカメ養殖施設にも、容赦なく襲いかかりました。ワカメに限らず、カキやホタテなど三陸沿岸の養殖施設は全滅。同県の養殖施設だけでも被害額は281億円という想像もつかない金額です。
あの日はちょうど刈り入れ時期を迎えていて、翌日の集荷にむけて夫と従業員の漁師が海に出ておりました。
午後2時46分。今までに体験したことのない恐怖を感じるほど、まるで地面に根をはっているような恐ろしい揺れを感じました。私の父母は命を守ることで精一杯。まずは従業員を自宅に帰さなければ!と思い、家へ帰しました。
その後、自宅と娘の家の電気コンセントを全て抜き、ガス/水道の元栓を抜き、近くにある神社に避難しました。最初は、まあ・・・そんなに暗くなる前に家に帰ろう・・・そう思って地元の住民と話していました。
30分後・・・・想像を絶する光景が目に移り、あたりを見渡すと言葉も出ません。とにかく住民の人数を把握しようと集まったのが合計33人。それから2日間神社の境内に身を寄せ、水が引くのを待ちました。
水が引きどうにか歩けるように思えたが、道路という道はなく、家の屋根や瓦礫の上を伝い歩き、目指すは近くの中学校。私はちょうど長靴を履いていましたのでどうにか歩けましたが、サンダルを履いた方が多く、中学校まで3キロを丸1日かかって歩きました。
その時の光景は今でも思い出すだけで、涙がこぼれ落ちるほどです。
地域一帯が壊滅でした。
震災後、まずは漁師達が集まり湾内のがれきの片付けに奔走し、知り合いの死を乗り越えてたどり着きました。私たち、女性のできることは限られていますが、震災前と同じように手伝いを始めました。
今年、やっとの思いで手にしたのは、最大で長さ2メートル。深い茶色で、つやも弾力もある立派なワカメでした。久しぶりにその日の夜は、食卓にワカメのみそ汁が並びました。
何も特別なことはない。いつもの味が何とも言えないいい味でした。
東日本大震災による津波ですべての養殖施設を失ってから1年。ようやくこぎ着けた刈り入れも、残りわずかです。
震災直後から支援に来てくださいます皆様に、心より感謝申し上げます。
(小松)