2013年8月6日、気仙沼地方ではようやく梅雨も明け、一段と日差しが強くなり、いよいよ夏本番といったところでしょうか。最高気温は30度には達しませんが、体感温度はかなり高く感じます。また、夕方から急に雨が降ってきましたので、車での走行時には安全運転を!
さて、気仙沼は昔から漁業の盛んな街です。東日本大震災による巨大津波により、多くの船も流されました。陸地に打ち上がった船もあれば、海へと引き戻された船もありました。
その中でも鹿折地区にある「鹿折唐桑駅」近くまで打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」の保存を断念した旨を気仙沼市長が表明いたしました。
震災当日、津波に襲われ更に追い打ちをかけるように大火災が発生し、その様子はテレビを通じて全国に流れました。ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
私は直接的には火災を見ていませんが、当日、人伝えに大火災で大変な状況だということを知り、夜なのに空が真っ赤に染まり続けたことは忘れることはできません。
その後、被災後の気仙沼市がTV中継されるときに、必ず映るのがこの「第18共徳丸」です。全長約60m、330トンもある漁船を目の前で見ると、かなりインパクトがあります。その大型漁船が海岸線から約600mも流された事実。津波の恐ろしさを言葉で語るよりも説得力があります。
先日、気仙沼市民を対象にこの船を「保存するか、解体するか」の市民アンケートの結果が発表されました。
結果として、およそ7割の「保存の必要はない」という答えを受け、早ければお盆明けにも解体作業が始まるそうです。
10年後に、この船を解体してよかったと思えるのか、やはり残すべきだったと思うのかは、時間が経過しないと分からないでしょう。しかし、市民のおよそ7割が「保存の必要はない」という答えを出したことを決して忘れないでいただきたいと思います。そして、やがて東日本大震災の大津波を知らない世代に対して、そういう答えを導き出したことを!
また、別の船ですが、津波により流された気仙沼の漁船「千代丸」が今月3日に福井県沖で見つかったと敦賀海上保安部から発表がありました。
2か月前にも沖縄近海で同船が発見されたことから、2年半かけて宮城~アメリカ~フィリピン~沖縄~福井という漂流ルートで流れ着いたのではないかと推測している向きもあります。
以前にもアメリカやカナダに津波による漂流物が漂着したという話がありましたが、戻りに戻って日本海に流れ着くなんてびっくりです。
自然の偉大さ、脅威を改めて実感しました。気仙沼にとって海、そして漁業は切っても切り離せない関係にあります。9月には、いよいよサンマの時期が来ます。更に戻り鰹もやってきます。気仙沼の復興にはこれらの漁業が欠かせません。今秋も気仙沼の美味しい魚を是非ご賞味ください。消費していただくことも一つの復興支援となります。
(茂木)
被災者の皆様に、国の復興の援助が遅々として進まないことに、国民として申し訳ない気持ちです。
一昨年災害1ヶ月半後に南三陸町(知り合いが被災)にボランティアに行き、被災現場を見ました。昨年夏には気仙沼(友人の実家が被災)を含め親類縁者を回りました。また、古希の仙台の小学校同期会があり仙台に行きましたが被災があった方無かった方、いろいろとおられましたが、みんな身内や知り合いに被災者がおり、触れないようにしていました。
故郷の街は何年かすれば違った形で復興すると思いますが、何世代かすれば残らなくなります。取り壊されることになった船は現在の被災者にとっては、現在は確かに辛い思い出でしょうが、私のように早くに故郷を離れた者や家族にとっては、やはり悲しい思いをした証拠として、将来再び悲劇を避けるための教訓のためにも、保存のための全国からのカンパを集めても、残してほしかったです。
取り壊しは残念です。