今日は2012年9月11日、11日・・・今でも毎月思う11日。今日で東日本大震災か1年半が経ちます。震災当日からその後の生活の激変については今後一生忘れることはないでしょう。
東日本大震災によりたくさんの犠牲が出ました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また今でも、およそ2,800人もの行方不明者がいます。しかし、多くの行方不明者のご家族はすでに葬儀を終えていて、心に区切りをつけようとしています。実際自分の友人も遺体が見つからず、震災から半年を境に葬儀を行い、当時なんとも言えない気持ちになりました。
仮設住宅で暮らしていた方の中には、自宅を修復して仮設住宅を出る方も増えてきました。しかし、多くの方は現在も仮設住宅で暮らし、その後の防災集団移転・災害公営住宅の見通しがつかず、将来の生活に不安を感じている方もいます。
しかし、震災によって得たものもあります。
(社)気仙沼復興協会(以下KRA)は震災後に気仙沼の復興のために、立ち上がった協会なので、もちろん震災がなければ存在すらしていません。KRAを通して様々な方々とのつながりも生まれなかったことでしょう。
以前行われた「社員研修会」でのグループワーク中の話で、KRAに入って良かったことは?、の問いに多くのスタッフが「いろんな人と出会えたこと」を上げていました。
KRAスタッフの年齢は10代~60代までと幅広く、更に前職種もバラバラです。そんな多種多彩な100名が集まることなど、通常時の気仙沼ではあり得ないことです。この人脈はスタッフ1人1人の今後に役立つことでしょう。
KRAは緊急雇用創出事業として行われているため、出会いもあれば別れもあります。退職後に、前の職場の再開に合わせて戻る人もいれば、全く新しい仕事に就く人もいます。平成24年度も残り半年となってきて、KRA退職後のことも考えなくてはいけない時期になっています。
また、ボランティア受入部が立ち上がると日本全国から多くのボランティアさんに来ていただきました。全国には被災地のために役立ちたいと思っている方が多くて、本当に感謝しています。
震災から1年半が経ち、様々な人々との出会い、ご支援、ご協力に感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。
現在の気仙沼は仮設住宅や仮設商店街などの『仮設』と付く名称が多いです。この『仮設』という言葉を聞かなくなった時に『仮』の復興ではなく、本当の復興を迎えるのではないでしょうか。
(茂木)
KRA様
お疲れ様です
毎月お世話になっております 感謝しております
私も生涯 忘れる事のない 忘れられるはずのない11日です
これからも 微力ながら活動していき、
ちょっとでも 笑顔あふれる、安らぎ、穏やかな日々を皆様が日々すごせる事を願い
進んで行きます
宜しくお願いいたします
皆様に出逢えたこと 嬉しく思っております
皆様 御自愛くださいませ
9/11
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臼田 うたび(しんでぃ)