2013年3月11日、あれからもう2年を迎えました。東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申しあげます。
忘れもしない2011年3月11日 14時46分に発生した巨大地震。それが引き金で発生した巨大津波が、なにもかも飲み込んでしまいました。家、会社、漁港、農耕地、そして人・・・。あの時見た津波の映像が脳裏に焼き付いています。今後、一生忘れることはないでしょう。
気仙沼市でも気仙沼市総合体育館「ケー・ウェーブ」を会場に「気仙沼市東日本大震災追悼式」が行われました。今年の3月11日は昨年と違い、平日(月曜日)ですが、多くの方々が参加していました。また、会社や学校等で黙とうをささげた方が多いのではないでしょうか。
震災から2年が経過した気仙沼の一部をご紹介します。自宅のあった地区が一望できる近くの高台から久々に見てみました。この場所からは震災前、たくさんの家が見えました。しかし、現在見える風景には家が一軒も見えません。
2013年3月9日撮影
震災直後に同じ場所から撮影した写真がありましたので、比較してみてください。
2011年3月18日撮影
上記写真は震災から1週間が経過した写真ですが、自衛隊の皆様方のおかげで既に一部の道路が通れるようになっているのがわかります。
震災から2年を迎えるということは、被災者の仮設住宅生活ももうすぐ2年目を迎えることになります。新たな家をどうするか、すでに防災集団移転の手続きを進めてる人もいれば、市誘導型防災集団移転や災害公営住宅の手続きをこれから始める人もいます。
いずれにしても2015年前後には仮設住宅から出る人たちが増えるはずです。気仙沼市が復興という言葉が似合うのは、市内に仮設住宅が消えたときになのかもしれません。
(茂木)
震災から2年がたちました。震災で亡くなられた人たち、震災の被害にあわれた方々のことを私は絶対に忘れません。私の桜丘高校でも豊橋駅での東日本大震災追悼集会を行いました。たくさんの一般市民が集まってくれました。多くの人が東日本大震災の復興を祈っています。私たち桜丘高校もこれからも末長い支援を続けていきます。合唱コンクールでも1年6組が東北に向けて頑張って歌うので応援お願いします♪